新城市(しんしろし)は愛知県東部に位置する奥三河の入り口にあり、豊かな自然に育まれた貴重な植物や動物の宝庫でもあります。

長篠の戦い 史跡散策

  戦国時代の猛者に思いをはせ、その史跡をマイカーで散策してみました。
およそ半日で見られるコースです。日帰りで気軽に歴史ロマンを味わって
みてはいかがでしょうか?
  コース 
家康本陣  → 馬防柵→ 設楽原歴史資料館 → 信玄塚 →  
長篠城址 → 長篠城址史跡保存館

 

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●家康本陣

国道151号線の終点を左に折れ、数100m.先に家康の本陣跡がある。現在は八釼神社となっているこの場所は、こんもりとした
高台になってる。石段をあがった境内からは付近の状況が見渡せる。


家康本陣
右の画像は家康本陣跡の隣にある東郷中学校。
門から連なる外壁は馬坊柵を模した物だろうか。
合戦の地ならではの造りが微笑ましい。

東郷中学校

●馬防柵

本陣からほんの少し行った先に馬防柵を再現した場所がある。現在は小さな小川となっている連吾川に
沿って立ち並ぶ馬防柵は周囲ののどかな風景とマッチして合戦当時のイメージが浮かぶ。
長篠の戦いでは、信長の築いた馬防柵の内側に鉄砲隊を三列配置し、間断なく武田の騎馬隊を撃った
ことで雌雄を決したといわれている。

馬防柵と連吾川を過ぎてすぐ左手に甘利郷左衛門尉信康の碑がある。
ここは場防柵から設楽原歴史資料館へ向かう道筋にある。
コースの途中立ち寄るには便利な場所だ。
因みに甘利信康は、信玄を若い頃から支えた老臣・甘利虎泰の子である。

●設楽原歴史資料館

 

設楽原歴史資料館は長篠の合戦に関する資料を展示。多数の火縄銃が展示され、鉄砲の伝来から
その後の火縄銃の歴史を展示紹介しています。長篠の合戦での戦没者の霊を慰める地元のお祭りを
紹介したビデオや、地元の小学生が卒業制作で作った長篠合戦図など見ごたえのある展示だ。

●信玄塚

設楽原歴史資料館から歩いていける場所に信玄塚がある。
戦場のかたづけに従事した村人は、この地に戦死者をねんごろに葬り二つの塚を築いて弔った。
これが「信玄塚」である。当時すでに亡かった信玄であるが、いかに信玄の偉名が大きかったかを物語っ
ている。毎年お盆(8/15)の夜には、この地で戦死者の霊を弔う「火おんどり」が行なわれる。

 

 設楽原歴史資料館
 
  信玄塚
  (資料館左手奥から行けます。)
 

●長篠城跡

長篠(ながしの)城は、永正5年(1508年)今川氏親の
武将菅沼元成が築いた城。
豊川と支流宇連川との合流点を背にして、扇形に開いた
面積約10haが天正3年合戦当時の城の規模だった。
武田軍の連日の攻撃で落城寸前の知らせを岡崎の家康
へ伝えるため、鳥居強右衛門が夜半重囲を脱して使命を
果たし、再び城中に入ろうとして捕らえられた。
武田軍は助命と恩賞を条件に、城中に向かって「援軍来
たらず」と報告するよう強要したが、彼は裏を書いて大声
で援軍の近いことを告げ、ついに磔にかけられた。
そんな鳥居強右衛門は、時代を超えて今なお地元の英雄
として人気がある。

 
 

●長篠城址史跡保存館

長篠の戦いの文献や遺品を保存すると共に、城跡・戦史研究を目的として建設。武器や文献など200点余りを展示。展望筒も備えらている。

なお、毎年5月に行われる「長篠合戦のぼりまつり」はこの場所で開催される。

長篠の戦いとは

天正3年5月21日(1575年6月29日)、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・徳川家康
連合軍3万5,000と武田勝頼軍1万5,000との間で行われた戦い。長篠城が武田軍に包囲され陥落寸前と
なったため、家康が織田軍の援軍を要請。長篠城西方の「設楽原(したらがはら)」あるいは「あるみ原」にて
野戦が行われ、織田・徳川連合軍側の勝利に終わった。